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2012年4月10日 (火)

「医学探偵ジョン・スノウ」サンドラ・ヘンペル著 日本評論社 ★★★★

疫学という学問は、残念ながら一般にはあまり知られていない。昔の伝染病を研究する医学分野のようなイメージを抱きがちだが、ネット検索すると『疾病の罹患など健康に関する事柄の頻度や分布を調査し、その要因を明らかにする科学研究』という定義が出てくる。かつては伝染病の原因を探ることが主眼とされていたために「疫」という漢字が使われているが、現在では例えば胃がんの原因病原体としてピロリ菌の存在を証明したりなど、伝染病以外の様々な疾患の病因を統計的手法を駆使して探る重要な役割を果たしている。医学書で様々な疾患の概略が説明される際には「疫学的手法によれば...」という一文が必ずと言っていいほど見られ、好発年齢や発症確率、特徴的な家族歴・既往症・生活習慣などが記されている。これにより読み手は疾患のイメージをより巨視的に抱くことができ、日々の診断行為にも役立っている。

疫学の始祖といわれているのが、イギリス人の医者・ジョン=スノウである。1813年に生まれたスノウは、イギリスで1830年代に猖獗を極めたコレラ禍に際し、当時有力視されていた瘴気説(汚染された空気が病気を引き起こす)に疑いを抱いて、実際の症例を詳しく調査し始める。彼はコレラが発生したスラム地区をくまなく回り、病人の出た家を地図に一軒一軒プロットしていく。ORS(経口補水液)も存在せず、多くの患者が発病から1日も経たずに高度脱水で命を失っていた当時、その調査は命懸けであった。その結果スノウが得た事実は、最初の患者の汚物を洗った汚水溜が、飲用に使用される井戸から90cmしか離れていなかった事と、その井戸水を飲まなかった人から患者がほとんど出なかったということであった。そして、その汚水溜は老朽化して内部が崩れ、井戸に流れ込んでいたという事実も追って明らかにされた。その過程は本書に詳しいが、まさに「医学探偵」であり、我々読者も2世紀の時を隔てた謎解きを追体験できる。ページがどんどん進むであろう。

本書によると、それでも当時の医学界は瘴気説に固執したらしい。スノウが調査したスラム地区には、悪臭を排出する様々な工場があり、「汚い空気」に覆われていたもの事実だったのだ。どちらの説が正しいか簡単には決着はつかず、最終的にはコッホによるコレラ菌発見を待つしかなかったのだが、井戸を封鎖すると患者発生が止まるという事実は次第に広く共有されるようになっていく。細菌の存在を知るための技術が生まれる前に、いわば間接的証拠からその「存在」を仮説化し、井戸の封鎖という対策を進めたスノウの行為は、科学者として立派なアプローチといえよう。疫学の世界では、スノウの業績をまず最初に習うらしいが、高校理科など一般的な教育でもこの科学的アプローチを扱うべきではなかろうか。良い本に出会った。

2012年3月20日 (火)

『伝説の「どりこの」』 宮島英紀・著 角川書店 ★★★

コンビニに日々並ぶ新商品のうち、定番商品として生き残るのがほんの僅かであることは既に旧聞に属する話であろう。私も何年か前までは取り敢えず新商品はトライしていたのだが、最近では新製品に手が伸びることも少なくなり、コンビニに行っても定番商品しか買わなくなった。「選択肢が増え過ぎると人々は選択を止め、定番に走る」と以前どこかで読んだが、まさにその状態が私にも起きている。新商品から将来の定番商品が生まれるのだから、新しい商品を生み出し続けるメーカーの努力には敬意を示したいが、最近はちょっと打率が低すぎやしないか。(無論、大きなお世話である)

今から約80年前、昭和初期の日本で爆発的ヒットとなった飲み物があった。高橋孝太郎という医学博士によって開発され、「どりこの」という奇妙な名を与えられたこの瓶入り飲み物は、金色に輝く非常に甘い「高速度滋養料」として広く日本人に愛されたという。奇妙なことに発売元はあの講談社で、自社出版物で大々的に宣伝しただけでなく、莫大な宣伝広告費を使っての派手な新聞広告や街頭イベント、各種興業の主催など、現代でいえば「メディアミックス」の手法を駆使した大キャンペーンが繰り広げられたという。本書に数多く収められた当時の広告は、現代の基準だと誇大広告のオンパレードであるが、眺めていると不思議に「どりこの」を飲みたくなる。JAROが無くて良かった。

丹念な調査によって「どりこの」の全てを詳らかにした努力作で、非常に面白い。出版社である講談社が「どりこの」の販売に乗り出し、やがてそれに社を賭けて邁進する経緯もしっかりフォローされており、戦前の出版業界の様子も垣間見ることができる。

その後太平洋戦争激化とともに「どりこの」生産は困難になり、昭和19年9月に生産が中止され、終戦後も復活することはなかったという。全国民が甘いものに飢えた戦後の混乱期、金色に輝く「どりこの」があればどれだけの人たちが勇気付けられたであろう。「どりこの」の名も、戦後の思い出として脱脂粉乳と共に広く語り継がれていたかも知れないと思うと残念だ。「どりこの」生みの親である高橋孝太郎博士は、その復活を夢見つつ、製法を門外不出としたまま世を去った。製法を継承したとされる甥も他界したため、「どりこの」復活の機会は永遠に絶たれた。甘いものが溢れる現代では昔ほど受け入れられないかも知れない、という指摘が本書にもあるが、それでも飲みたい! コンビニに置く新商品開発に悩む飲料メーカーの方、本書に載ってる当時の成分表を元に、一度期間限定で復刻させませんか? 発売元はもちろん、本書の版元・角川書店で!

2012年2月17日 (金)

「ドイツ統一の舞台裏で」 リヒャルト・キースラー著 中央公論事業出版 ★★★

私が高校生だった頃、ヨーロッパではソ連の崩壊や東欧諸国の民主化が日々進行していたため、学校の授業で使っていた地理の教科書や地図帳は改定が間に合わず既に「時代遅れ」になっていた。終戦直後の「黒塗り教科書」ではないが、もう授業に使えない教科書の記述を前に、歴史が変わる瞬間のダイナミズムを強く感じたものだ。東西ドイツの統一から20年以上経った今、どういう経緯で両国が統一を果たしたのかをおさらいする意味で本書を読んでみたが、参与した政治家達の胆力に改めて心を奪われた。

ドイツ統一に際して最も困難とされた課題は「ポーランドとの国境確定」「ソ連が東独で行った財産没収の法的処理」および「東西統一に対するソ連共産党の合意形成」であった。「ポーランドとの国境画定」は、現ポーランド領土を含む「旧ドイツ帝国」の版図回復を主張する国内勢力との兼ね合いが問題となり、「ソ連が東独で行った財産没収の法的処理」は、第二次大戦の結果に変更を加える事へのソ連側の反発が障害となった。「東西統一に対するソ連共産党の合意形成」に国際政治上の高度の手腕が求められたことは言うまでもない。どれをとっても第一級の政治的難題であるが、当時の西ドイツ・コール首相とゲンシャー外相は、国際政治の舞台にブッシュ(父)米国大統領やゴルバチョフ・ソ連書記長、シュワルナゼ・ソ連外相という大物役者が揃ったのを見逃さず、見事な胆力で解決を果たした。その過程を本書は活き活きと描写する。果たしてドイツは統一を果たし、その経済力は冷戦後の欧州を牽引した。欧州単一市場やユーロの実現も、ドイツ統一がなければ絶対に実現できなかっただろう。

近隣国との領土問題や、一部アジア諸国からの戦後賠償の再提起など、第二次大戦の処理にいまだに煩わされる日本にとっては羨ましくも思える話だが、ドイツ統一を巡る戦後処理には「共通の欧州の家を実現する」という大義が少なくとも存在した。東欧諸国の様な民主化ドミノも起きず、強権的な政治体制を維持する国が複数存在する東アジアで、双方が歩み合える大義を見出すのは簡単ではないし、民主党初の某首相のように「共同体」を口先だけで唱えても詮無きことである。Win-Winの関係が成立しにくい東アジアの政治環境において、ドイツ統一で見られたような見事な懸案解決を政治家に求めるのは酷であろうが、国際政治の舞台に「超大物役者」が揃うタイミングが私が生きている間に到来することを祈りたい。まあ、強力な外交を進めるには自国内の体制を磐石にしなければならないので、日本の場合はまずそこからだろうが。これは何年掛かるか分からないので、せめて長生きできるように健康に気をつけることにしよう。

2012年2月 6日 (月)

「地球の論点」スチュアート・ブランド著 英治出版 ★★★★

知ったかぶりは良くないので最初に断っておくが、本書の著者スチュアート・ブランドが発行人を務め、若い日のスティーブ・ジョブスを熱狂させたという『ホール・アース・カタログ』なる雑誌を私は知らなかったし、いまもって読んだこともない。だから氏がこれまでどういう主張を行い、いかなる思想的な紆余曲折を経て本書に到達したのかについて、私はいささかの知見も有していない。なんだか格好悪い書き出しだが、知らなかったものは仕方がない。

ページ数の割には妙に重たいし、『ホール・アース・カタログ』を知らない「一見さん」には少々敷居が高く感じる本なのだが、大変面白かった。「『地球を救う』というのは、大げさな言い方だ。地球は、何が起こっても安泰だろう。生命も同様。トラブルを抱えているのは人類だ」「(環境保護運動は)文明から自然システムを守ることばかりでなく、文明をも守ることへ変わってきている」という冒頭2ページの文が、私が環境保護運動に対して感じていたモヤモヤを見事に代弁してくれた。そう、人類が地球を守るなんて傲慢な「上から目線」なのだ。地球大気が温暖化しようが海面が上昇しようが地球は何も困らない。環境変動により文明が滅びて困るのは人類だけだし、第一、人類や他の生物が滅亡しても地球には痛くも痒くもない。荒くれ者の自然から我々の生活(文明)を守るという伝統的かつ利己的な思考に立ち返り、「地球にやさしく」というセンチメンタルな自然保護から脱する時期が来たのではなかろうか。

田舎暮らしより都市に住む方が環境への負荷が少ないという学説を紹介し、食糧などを都市で自給できるよう野菜・畜産工場等を促進することで「都市の自立」を果たそうなど、政治的理由もあってこれまで日本ではなかなか流布されなかった言説が展開されている。人工的な操作を加えなくても、そもそも自然界では異種間での遺伝子の移動が常日頃行われているのだから遺伝子組み換え作物は安全だと主張するなど、社会的議論になっている話題にも躊躇わず旗幟を鮮明にしている。

氏の基本スタンスの1つが「予防原則」に対する批判だ。予防原則は「ある行動指針が生態系に対して万が一でも取り返しのつかないダメージを与える可能性があるならば、その行動の結果にどれほど大きな利点があっても、やってはならないことだ。何をなすべきかを決める際に、利益に対するコストバランスをとることは許されない」(本書226ページ)と定義され、欧州諸国の基本理念として批判の対象とされている。リスクと便益を秤にかけて判断すべきというのがその対極とされる考え方で、米国では広く支持されているようだ。米国人環境主義者であるスチュアート・ブランドは、原子力発電についても、環境負荷と事故確率の低さからそれを是とし、安全を担保するエンジニアリングの拡充を訴える立場である。3/11以降でその考えに変化が生じたかどうかは不明だが、「予防原則」の採否は神学論争に近いものがあるので簡単には変わらないだろう。日本の場合、遺伝子組み換え作物や医薬品のネット販売に対する規制は「予防原則」に立脚し、原子力発電の推進はコストバランスに基づくものと理解できる。これからの国のかたちが問われている今、感情に支配されるのではなく、日本という国や文明を自然からどう守り、どういうエンジニアリングを作り上げて行くべきなのかを冷徹に考えなければならない様に思う。「現実的な環境主義者のマニフェスト」という本書の副題に嘘はない。こういう本がベストセラーになって日常の話題に上るようになると、日本も変わると思うのだが。

2012年1月30日 (月)

「くすりとほほえむ元気の素」高橋善丸・著 光村推古書院 ★★★★

山あいの古い家並みの中を歩いていると、蔦に覆われた琺瑯看板を不意に見かけ、懐かしい思いをすることがある。今にも朽ち落ちそうな廃小屋や、今でも営業を続ける木造の古い個人商店に殺虫剤や学生服の琺瑯看板が残っている風景はとても絵になるものだが、最近この琺瑯看板が都会のレトロ風居酒屋などで室内装飾として使われるケースが増えて来たのは残念だ。琺瑯看板はそれ自体に懐かしさが宿るのではなく、それが張られた建物の歴史や集落の変遷など、周囲の風景と渾然一体となって歴史を語るものだと信じているので、都会の街中に飾られているのはまるで根無し草が漂流している様に感じられてならない。

同じく懐かしさを感じるものに置き薬のパッケージがある。私が小学生だった昭和50年代でも置き薬はまだ家にあり、その古めかしいパッケージに子供ながらに興味を抱いていた。薄暗い雨の日の午後、和室に置かれた薬箱の中を覗くと、時代掛かった箱の絵にほのかな恐ろしさを感じたものだ。そんな懐かしい薬のパッケージを大量に収録したのが本書である。

著者の高橋氏が擁する薬袋のコレクションは5000点にも及ぶという。本書では、氏のコレクションを胃腸薬・風邪薬・虫下しなど効能別に分類した上で、描かれたデザインによる小分類を施し、詳細な解説と共に現物を全てカラーで紹介している。胃腸薬であれば、自らのはらわたを見せた「はらわた紳士」がいるし、風邪薬であれば邪気を祓う須佐之男命や鐘馗が描かれる。また時代によりデザインも移り変わるようで、戦前は苦痛に顔を歪める男性が多く描かれた咳止め薬は、戦後になると朗らかな笑顔を見せる女性(治った後なのだろう)を描くことが主流となったという。数多くのコレクションを木目細かく分析したからこそ見えてくる時代の空気であり、懐古趣味や興味本位に留まらない本書の魅力はここにある。薬のパッケージ以外にも、おまけで配られた紙風船や双六などの紙玩具、印刷に用いられた木版、そして目薬を入れた硝子瓶など、薬にまつわる数多くの物が収集・紹介されており、興味は深まるばかりである。

時代が進むにつれて薬事行政はどんどん厳しくなり、かつては認められた処方や効能表示が次々と禁止されていった。最近の目薬が昔ほど沁みなくなったのも、鉱物性成分が禁止されたというのが大きな理由である。クスリ文化の推移を、薬事行政の推移という視点で眺めてみるというのも面白いかも知れない。そういう本があれば読みたいので、ご存知の方はどうかご一報を。

2012年1月23日 (月)

「スパイス、爆薬、医薬品 世界史を変えた17の化学物質」P・ルクーター/J・バーレサン著 中央公論新社 ★★★★

いま私は成田からヨーロッパへ向かう機内でこの文章を書いているのだが、窓側席なので眼下に広がるシベリアの凍てつく風景を写真に収めている。昨年購入したソニーのデジカメにはGPS機能が搭載されており、この機能をONにすれば、撮影場所(緯経度)と方角が写真ファイルと共に自動保存される。帰宅後にパソコンに取り込めば地図ソフトに撮影位置が表示されるので、風景と地形を照らし合わせたりする事が容易に可能だ。便利なことこの上ない。決して足を踏み入れないであろう極北のツンドラの大地にも何だか旅情(?)を感じてしまう。

理系にしろ文系にしろ、各分野の研究がここまで進むと、世をあっと言わせる新発見というものは容易には出て来ないものだ。これからは既存技術の斬新な組み合わせが社会発展のカギになる様な気がする。軍事目的で開発が進んだGPSと、銀塩フィルムからの発展で写真の世界を変えたデジタルカメラ技術が、どこかの誰かさんの発案で組み合わされ、それがインターネットで提供される地図データと共に活用される事で人々の「旅の思い出」は一挙に豊かになった。各分野の専門知識を深めながらも、他分野にどういう技術や知見があるのか広いカバレッジを持ち続けることが、これからの私達にはますます重要だと思う。大学から教養部が無くなり、教養知より専門知が持て囃されるようになって久しいが、これからも「乱読」でカバレッジ維持を図っていきたいと機上で感じている。

前置きが長くなったが、本書は化学物質を切り口に世界の歴史を語った一冊である。歴史を動かす原動力は人々の欲望であり、その欲望の陰には何かしら物質がある。アヘン戦争の原因となった阿片などいくつかの例がすぐに浮かぶが、本書によると香辛料やカフェイン、モルヒネ、果ては繊維すらも人々の欲望を刺激し、歴史を突き動かして、多くの人々の運命を変えた。反面、殺虫剤や抗生物質などは数えきれない程の人命を救い、避妊薬(ピル)は女性の生活を変えた。そういった数多くの物質を取り上げ、歴史にどう影響を及ぼしたのか、豊富なエピソードを交えて紹介している。類書との最大の違いは化学式(構造式)を盛りだくさん示している点で、その読み方を分かりやすく説明した上で、合成する際の反応過程や異性体などにも触れられている。高校で化学を履修していれば理解は早いだろうが、そうでなくても、化学構造式の読み方をかじってみる良い機会なので是非お試しを。化学と世界史という組み合わせの妙を楽しませてもらった。訳もこなれていて読みやすい。訳者あとがきによると、構造式を掲載するのにはかなり勇気が要った様だが、載せて大正解。日本の読者層の厚さは捨てたもんじゃないと思いますよ。

2012年1月10日 (火)

「世界サイバー戦争」リチャード・クラーク著 徳間書店 ★★★★

こんな寒い時期に背筋が凍る思いをする本を読んでしまい、風邪をひきそうである。冷戦真っ盛りの頃、米ソ全面核戦争の帰結を描いた本やテレビ番組に感じた恐怖とはまるで次元が違う。インターネットの危険性は十分認識していたつもりだったが、国家間のサイバー攻撃がここまで進み、また社会インフラがこうも無防備にインターネットに依存していたとは想像が及ばなかった。米ソ全面核戦争の恐怖を「頭上から降ってくる感じ」と表現するならば、サイバー戦争の恐怖は「足元が崩れ落ちる感じ」とでも言えようか。

本書の著者は、レーガン政権などで国務次官補を務め、国家安全保障やサイバーセキュリティの第一人者であるリチャード・クラーク氏である。彼の指摘によると、米国内の電力供給システムはインターネットに過度に依存しており、外部からシステム内への侵入も容易に可能とのこと。電力供給システムを停止させ、発電機を破壊するプログラムを予め仕掛けておけば、他国の攻撃者はいつでも数クリックでプログラムを遠隔始動させることができ、米国の電力供給を長期にわたって停止可能なのだ。そんな攻撃を受ければ当然米軍による武力報復が行われようものだが、国防省のシステムもインターネット依存が進んでおり、サイバー攻撃による機能不全の可能性が高いという。場合によってはミサイルの標的情報書き換えによる同士討ちすらあり得る。軍事機密を扱うシステムは高度な暗号化で保護可能でも、兵站や物資調達など全てを保護するのは困難で、組織だった軍事活動(国民保護を含む)は阻害されてしまう。それではと米軍もサイバー攻撃で応戦しようとしても、仮に相手国が中国や北朝鮮であったとすれば、自国をインターネットから完全に切り離す事が容易に可能であり(平時から国家によるネット統制が厳しい)、攻撃の標的がそもそも存在しないという事態になる。スマホだのネット通販だの、インターネットの発達を無邪気に喜んでいるうちに大変な世の中になったものだ。本書はアメリカの状況をベースに記されているが、日本の状況はきっと更に・・・(恐ろしいので思考停止する事にする)。

こういう現実をベースにクラーク氏は、アメリカ政府が採るべき対策を具体的に提言している。インターネットの自由を寿ぐ時代は確実に過ぎ去ったということだろう。日本政府も読んでいると信じたい。本書には「核を超える脅威」というサブタイトルが付されているが、まさに正鵠を射ていると言わざるを得ない。『ネットの脅威なんか知っとるわい』という中級者以上に是非読んでほしい一冊。

2012年1月 7日 (土)

「食堂車乗務員物語」宇都宮照信・著 交通新聞社新書 ★★★

大宮の鉄道博物館を訪れた際、館内のレストランで、食堂車全盛の頃に車内で供されていた料理が再現されていたので食べてみた。私が注文したのはビーフシチューで、若いころ新幹線の食堂車でよく食べていたので懐かしく味わったが、ビーフが少々筋っぽくて歯に引っかかるところまで再現されていたのには驚いた。確かにそうだった。今となってはノスタルジーもあって食堂車を懐かしむ気持ちが強いが、思い起こしてみると当時食堂車の料理には「高い割には・・・」という印象を抱いていたものだ。駅弁やコンビニ弁当がここまで進化した今日、仮に食堂車が復活したとしても苦戦は免れないだろう。

とネガティブな書き出しになってしまったが、流れ行く車窓の景色を眺めながら温かい食事を味わえる食堂車は好きだ。だからこそかつて食堂車に通っていた訳だが、数々の温かい食事が揺れる車内でどうやって提供されていたかを詳しく記した本書を読んで、当時の食堂車にもう一度行きたくなってしまった。

明治32年に山陽鉄道に初登場して以来、戦時中の休止期間を経て、戦後食堂車は発展を続ける。調理の熱源も石炭から電気レンジ、電子レンジへと変わり、冷蔵庫も搭載されるようになる。全国に張り巡らされた特急・急行列車網には食堂車が連結され、100系新幹線には2階席に食堂車が設けられて「最盛期」を迎えるが、列車のスピードアップによる乗車時間の短縮によって食堂車は徐々に勢いを失っていく。

数々の食堂車に乗務した著者・宇都宮氏は、限られたスペースと設備で食事を提供する上での苦労話や様々な工夫を、多くのエピソードを交えて紹介している。調理に使う石炭や水の補給に苦心したり、全盛期にはうどんとチキンライスを同時に調理するほど忙しかったりと、それぞれのエピソードは昭和鉄道史として記録に残したいものである。食堂車の見取り図も詳細に記されており、調理の動きが手に取るように想像できる。大変面白く読ませてもらった。

「アジア冷戦史」下斗米伸夫・著 中公新書 ★★★

北朝鮮の金正日総書記が急死した。本稿を書いている2012年1月現在、息子である金正恩氏への権力移行が必死で進められているが、国家指導者としての正統性を作出しようと北朝鮮当局は様々な策を講じて金正恩氏の「伝説」を演出しようとしている。ところで、それを伝える日本の報道でしばしば用いられる表現に『抗日パルチザンとしての実績で正統性を示した金日成』といったものがあり、金日成が『建国の父』であることが歴史的事実である様な印象を受け手に与えるのだが、本書を読めばかなり異なった背景が見えてくる。

本書によると、対日参戦の目的で北部朝鮮に入ったソ連赤軍は、ハバロフスク生まれのソ連共産党活動家・許嘉誼を平壌に派遣し、ソ連共産党に類似した朝鮮労働党を結成させたという。ソ連軍大尉だった金日成は党結成に参与しておらず、その後策定された北朝鮮憲法に至っては、モスクワでスターリン以下ソ連幹部によって執筆された。そういう環境下で金日成はスターリンによって国家指導者として指名される訳だが、その後彼は党創建に関わった「ソ連派」を次々と粛清して「抗日ゲリラ派」による党・国家支配に成功する。金日成を『建国の父』とする数々の伝説は、こうした奪権闘争による権力掌握および国民への強権支配に「正統性」を付与するプロセスで積み重ねられたものなのだろう。金正日氏から金正恩氏への権力移行に際しての「伝説」創出プロセスにも、半世紀前との類似性が観察できる。

これまで冷戦史というと「鉄のカーテン」論に代表されるような『欧米対ソ連』といった枠組みで語られることが多かっただけに、アジアの冷戦史に特化した本書は私には興味深く読めた。第三次世界大戦すなわち米国との核戦争勃発を恐れるスターリンが、武力による世界革命や台湾統一を目指す毛沢東と対立を深めている様子は特に生々しい。「フルシチョフは、毛がソ連を核戦争に巻き込もうとしていると感じた」という一文が印象に残る。文化大革命や中ソ対立、そしてその後の東欧民主化・ソ連解体という流れの中で、ソ連(ロシア)・中国が北朝鮮・モンゴル・ベトナムといったアジア共産圏諸国にどう関与して行ったかについても分かりやすく書かれており、現在の東アジア情勢を理解する上でとても参考になるだろう。

2011年12月12日 (月)

「結核という文化」 福田眞人・著 中公新書 ★★★★

肺病・労咳などとも呼ばれ、死病として恐れられた結核。ストレプトマイシンという画期的な抗生剤が発見されるまでは、結核であると医師に宣告される事は、死の宣告にも等しいものであったという。結核は、次第に身体を衰弱させ、激しい咳と喀血とともに命を奪う恐ろしい伝染病であった。

ところが不思議な事に、結核という病気には昔からロマンティックなイメージも伴っている。高原のサナトリウムで静かに療養する美しい少女、痩せた体で静かに本を読む青年、そして美しい恋人との死別。堀辰雄『美しい村』『風立ちぬ』に代表されるこういったイメージは、他の病気には決して見る事ができない独特のものである。

本書は、結核という病気を医学・文化の両面から捉えて、その歴史を検証している。医学面では、古代ギリシャ時代から近代まで行われていた瀉血やタール水(クレオソート)などの様々な療法や、鯉の生き血や石油の服用などという奇妙な民間療法を紹介し、抗生剤が登場するまで人々が行った試行錯誤を記している。また文化面では、結核が文学や絵画に与えた影響を主に日本とヨーロッパで詳しく検証している。結核患者特有の白く痩せ細った身体、白い顔に紅潮した頬、そして潤んだ大きな目は、西洋における美意識に深く合致し、結核患者は多くの絵画や文学で描かれた。また日本でも、多くの文学作品に結核患者が取り上げられた。その背景と原因を本書は探っている。

近年、結核が再び流行の兆しを見せている。結核に対する無関心と警戒心の欠如、さらには医師の側の無知も手伝って、高齢者を中心に患者数と死者を増やしているのであるが、そこに、かつて見られたロマンチシズムは全く見られない。あのロマンチシズムは、死の恐怖に多感な若者たちが怯え、共鳴していた時代にのみ成立したのであろう。『美しい村』などを通して触れる当時のロマンチシズムに多少の憧れは感じるが、医学の進歩により結核の呪縛から若者文化が解放された事は、人類の偉大な足跡として記されるべきものであろう。結核という病気を総括的に検証した好著。

«「羆嵐(くまあらし)」吉村昭・作 新潮文庫 ★★★